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コラム

「 映画の中のシニア女性たち 」松本侑壬子(2016.10.14)

松本侑壬子 映画評論家/ジャーナリスト

 10月1日は国際高齢者デー。

 世界の高齢者人口9億100万人のうち半数以上の5億800万人がアジアに住んでいて、今後も開発途上国を中心に増加し続けるという(UNFPA=国連人口基金の統計による)。そのトップを走る日本では、9月19日が敬老の日と呼ばれているが、「敬老」なんて言われても、どうもピンとこない。もう20年以上も昔のこと、赤いハイヒールにボブヘアーの似合うおしゃれな中年女性が憤慨していた。その方は戦時中の学童疎開世代で、その頃ちょうど60歳くらい。近くの小学校で学童疎開の話を聞かせてほしいと頼まれて出かけたら、入口に「地域の古老に戦争体験を聞く会」と看板が出ていた。「え? 私って古老なの!?」と、大ショックだった、と。高齢化時代、「老人」の概念と現実はぐんぐん変わってきている一例である。

 映画でも、従来の「老人」の概念をはみ出す主人公たち、それも高齢の女性の活躍する作品が増えてきた。大胆で冒険的、それでいてエレガントに艶めくシニアのNYファッション・リーダーたちは60代~90代後半だ(ドキュメンタリー映画『アドバンスト・スタイル』『アイリス・アプフェル』)。そんな彼女らから若者までの街角ファッションを、マンハッタンのビルの谷間を自転車で自在に走り回りながら時代の証言者としてしっかりと捉えるのは80代半ばの足長おじさん、ビル・カニングハム(NYタイムズ・カメラマン)。彼は長年カーネギーホールの上層階の住人だ。年齢の縛りから解放されて、撮る方も撮られる方も、いかにも自由で楽しそう。

 歳をとると、友達、とりわけ気心の知れた女友達がうれしい存在になる。家族とはまた違った、同じ時代を生きた世代感覚で互いの気持ちが通じ合う。そこから一緒に山歩きや演劇を楽しんだり、力を合わせて趣味や特技で起業したりする例も。もう現役ではないのでお金はあまりないが、経験と判断力と時間はたっぷりあり、しかも競争に追われることもなく、一緒に楽しくて人のためにもなることを仲間と目指しやすい(『滝を見に行く』『晴れ舞台はブロードウェイで』『人生、いろどり』)。

 恋に身を焼く人もいる。初めて知り合った相手とよりもふたたびの恋の方が多く、しかも再会までには別の人生を生きてきた大人の恋。それだけに、試練も切なさもひとしおだ。一方、60歳を過ぎてから“恋活”を始める女性も。つかの間のときめきの後のわびしさ…。(『再会の食卓』『ゆずり葉の頃』『トレヴィの泉で二度目の恋を』『私の恋活ダイアリー』『グロリアの青春』)。

 病気や死の問題も避けては通れない。認知症(アルツハイマー症)と徹底的に向き合い、オープンにし、娘や孫など家族がしっかりと患者を支えて生きる姿を描く記録映画(『毎日がアルツハイマー』シリーズ)。92歳の誕生祝いの席で2週間後に「私は逝きます」と宣言した母親。うろたえ、反発する家族の中で、母に寄り添い、ともに過ごすうちに娘は母を理解し受け入れる気持ちになってゆく。フランスで大反響を呼んだ実話の映画化である。
 老化や死は、誰にも止められない。が、老いに負けず、自分の持つ可能性を目いっぱいに発揮し、最後まで自分らしく生きることは可能だ。そうしたシニアの素晴らしい面を描いた映画は見る者を励まし、大いに力づける。いわば精神的な薬である。これからももっともっと作られることを願っている。モデルは案外身近に転がっているような気がしてならない。

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