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コラム

「 子育てにおける親族資源の利用についての支援を考える 」稲葉昭英(2016.6.15)

稲葉昭英 慶應義塾大学文学部教授 

 23歳の時に新聞社に勤める妻と結婚し、学生だった私は家事のすべてを担当することになった。26歳でなんとか就職することができ、31歳で子どもが生まれた。妻は超長時間労働者で、日中はおろか深夜までの勤務が多かったから、育児もほぼ私が一人で担当することになった。これが現在まで20年以上続いている。
 育児は素敵な経験だ、新しい発見がある、ということをいう人がいる。そうした側面があることを否定はしないが、私にとっては辛いことが多かった。子どもが生まれる前も後も、私はほぼ毎日大学で仕事をしていた。その頃の典型的な一日は、朝8時30分に子どもを保育所に預け、大学で仕事をこなし、夜6時30分ころに保育所に寄って子どもを受け取り、スーパーで買い物、食事をつくって子どもと食べた後に一緒に入浴し就寝、早朝に起きて洗濯、掃除というものだった。今から考えるとまずかったなあ、と思うのだが、毎日自分の労働時間より長く子どもを保育所に預け、土曜日も平気で預けた。大人の労働時間より長く保育所にいるのだから、子どもは週末になると疲れて体調を崩してしまう。このため、子どもは病気をすることが多く、ひどい時には月のほとんどを休んだ。
 子どもの病気時の保育の問題は多くの人が経験する困難だが、私の場合は実家近くに転居していたので、親の助けを得ることができた。親からは育て方が悪いとか、子どもがかわいそうだ、とか毎度いわれて閉口したが、子どもを預かってもらえるのはありがたかった。しかし、保育所を休むと子どもはその分、保育所になじめなくなる。もともと保育所が好きな子ではなかったが、休むことで余計にこの傾向が強くなった。そうなると、朝は保育所に行きたくないといってグズるし、保育所で別れるときにも泣かれる。いつも子どもを振り切るようにして保育所を出ざるを得なかった。「すぐに慣れますよ」と言われたが「今日も何も食べませんでしたよ」と保育士の先生にいわれることも多く、これがつらかった。こうした思いは保育所に子どもを預ける多くの人たちが経験してきたのだろうし、今でもそうした思いを持つ人は多いのだと思う。そのことを理解できたことが、私にとって育児のもたらす貴重な経験だったのかもしれない。
 研究者の世界では、特に30代で業績を出してアピールすることが求められるが、当時の私はとても研究どころではなかった。30代・40代はあまり研究はできず、同世代のライバルたちがつぎつぎに研究成果を発表し、よいポストに移動していくことを複雑な思いで見つめるしかなかった。私にとって、育児も家事も、できるだけ短時間ですませたい仕事であり、できればやりたくない仕事であった。その時間を少しでも研究に振り向けたかった。そういう中で、育児をしながら良い仕事をしている(女性)研究者がいかにすごいのかもよくわかった。
 私にとって最大の問題は子どもの病気時の保育だった。近年では病児保育も利用しやすくなっていると聞くが、私にとって病児保育の利用はあまり現実的ではなかった。病気の時ほど子どもは私にそばにいてくれ、という。一番良いのは、やはり親が仕事を休むことであり、看護休暇が柔軟に取得可能であることだと思う。そうはいっても、それは誰にとってもそんなに簡単ではないのだが。私の場合は自分の親を頼った。誰にでも利用可能な親族がいるわけではないから、病児保育の必要性はよくわかるが、一方で病気の時にふだん面識のない人と過ごすことは子どもにとって容易なことではないだろう、とも思う。
 私はベビーシッターも使ったが、無理がきかないという点では使い勝手はあまりよくはなかった。急な依頼や延長、キャンセルは契約的な関係では難しく、この点は親しい友人や近所の人でも同じで、無理がきくのはやはり親だった。子どもも、祖父母のところに行くことは嫌がらなかった。その点で、批判もわかるのだが、親族の利用を希望する人の支援をすることはあってよいと思う。私がそうであったように、親族からの支援を受けるために転居する人も多い。そうした費用を税控除の対象にするくらいはあってよいと思う。家族主義だ、育児の社会的責任を親族に押し付けるものだ、という批判もわからないではないのだが、親族関係を代替するような社会的サービスを用意することは現実的には難しい。
 もちろん、親族関係は利用できない人も多いから、病児保育などそれ以外の支援も充実させることは必要である。その点で親族に依存しなくてもよい社会にしていくことが望ましいが、子どもにとって親や親族(祖父母)と等価な関係を制度によって作ることは簡単ではない。親族の利用可能性を高める支援をすることは、一方で親族の利用が難しい人たちへのサービスの提供をより効率化・充実させることにもつながるだろう。
 親族の利用可能性の有無によって子育ての状況に大きな差異が生まれるとすればそれは問題だが、その格差の是正は「親族の利用が難しい人への支援」を充実させることで果たされるべきであり、「親族利用希望者への支援をしないこと」で果たされるべきものではないと思う。同時に、この問題は「少子化対策として親族の利用への支援は有効か」という観点から論じられるべきものではなく、「子どもにとって抵抗感がなく、受容されやすい関係はどのようなものか」という子どもへの福祉の観点から論じられるべきものであると思う。

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