開館45周年記念理事長インタビュー(第2回)

開館45周年記念理事長インタビュー(第2回)

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 開館45周年記念理事長インタビューの第2回は、日本女子プロサッカーリーグWEリーグの初代チェア(理事長)の岡島喜久子さんです。
 岡島さんは、中学生のとき男子サッカー部に入部し、サッカーを始めました。その後、女子サッカークラブ「FCジンナン」でプレーします。1977年に台湾で開催された女子アジアカップに、日本女子代表として単独チームで初めて参加しました。その頃の日本サッカー協会は女子チームの登録を認めおらず、日本女子代表チームの必要性を痛感し、帰国後、日本女子サッカー連盟の設立に向けて奔走しました。そして、1979年に日本女子サッカー連盟ができ、大学在学中に初代理事に就任しました。
 大学卒業後は、銀行や証券会社など外資系金融機関に勤務。幹部を目指し、得意の英語を活かしてニューヨーク研修にも参加するなど活躍の場を広げました。結婚後はアメリカに移り、子育てをしながら金融機関の仕事を続けました。
 WEリーグの初代チェア就任の打診があったとき、女子サッカーのプレイヤーの経験があり、ビジネス界のキャリアも積んできた岡島さんに迷いはなかったそうです。
 WEリーグは、「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する。」を理念とし、選手の理念推進活動やパートナー企業とジェンダー平等の課題発見、解決に向けたアクションを行っています。
 今回のインタビューでは、やりたいことをやろうとする時に私たちが感じている障害や困難などの「壁」への向き合い方について伺いました。

— 困難を乗り越えて、自分の道を進むにはどうしたらいいでしょうか。

岡島:自分が好きだと思えることに取り組むのがまず大事だと思います。私は選択肢があるときは、損得で考えずに自分がより好きなほうを選ぶようにしています。自分が嫌いなことをしてお金を稼ぐのは健康に悪いですし、どんな結果でも、自分が好きなことを選んでいれば後悔しませんよね。女子サッカー代表チームを作ることも、結婚・出産後も仕事を続けることも、好きだからできたことだと思います。
 そして、いいなと思ったことはすぐに始めてみましょう。これまでの経験からいうと、考える前に行動したほうが上手くいくことが多いです。それで成功することも多いですし、万が一上手くいかなければ別の方法を考えればよいのです。
 自分の進みたい道が分かったら、助けてくれる人やことを見つけることがとても重要です。特に新しい世界に飛び込むときは、自分のこれまでの経験が通用しないことも多いので、使える助けは全て使うくらいの心持ちでいましょう。例えば、アメリカに引っ越して仕事を探していたとき、義理の姉が転職先を紹介してくれました。人との出会い、そしてこれだ!と思える人を見つけて、その人と深く付き合っていく力を磨くとよいですね。
 大変なときも、困難を「壁」ととらえないことも大事だと思います。自分のキャリアの中でさまざまな困難がありましたが、私は目の前に「壁」があると思ったことはあまりありませんでした。例えば、女子サッカー代表チームを作る時に、どうしたらよいか始めは分かりませんでしたが、最終的には経験がある人を探すことができました。また、女性は営業職になれないと言われた時は違う業界に転職するなど、取り組みたいことに対する困難があっても、ただぶつかってあきらめてしまうのではなく、できることから始める、違うフィールドで勝負する、一休みして考えるなど、違う方法でチャレンジしてきました。そうして気がついたら自分の後ろに道ができていたように思います。
 最後に、自己肯定感も大切です。気分転換に買い物をしたり、ペットの猫と遊ぶこともあります。また、私はスポーツが得意だったので、それが自己肯定感を高めてくれました。今でも気持ちをリセットするために走ることがあります。
 WEリーグが加盟する日本トップリーグ連携機構でも今後様々な取り組みを計画しています。ぜひスポーツによる女性のエンパワーメントを一緒に進めていきましょう。

岡島喜久子 WEリーグ初代チェア

萩原なつ子と岡島喜久子氏の写真

岡島 喜久子(おかじま きくこ)

1958年東京都生まれ。1983年サッカー日本女子代表に選出。早稲田大学商学部在学中に日本女子サッカー連盟の理事に就任し、1984年から1989年まで同連盟の事務局長を務めた。大学卒業後、ケミカル・バンク(現JPモルガン・チェース銀行)に入社。国際証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)などを経て、2004年から2019年までアメリカ・メリルリンチに勤務。その後、2020年から2022年まで日本の女子プロサッカーリーグであるWEリーグ初代チェアを務めた。