開館40周年記念メッセージ

開館40周年記念メッセージ

NWEC開館40周年を記念して、日頃から当会館の事業運営にご理解・ご協力をいただいている全国の皆様から、NWECに関するエピソードやメッセージをお寄せいただきました。

※50音順で掲載しています。内容は掲載当時のものです。

共感と違いを感じ、つながって、行動して
埼玉県 合同会社代表社員 新井 純子(あらい じゅんこ)さん 59歳

メッセージ詳細
 ささやかで、小さな日々の私ごとの暮らしの出来事や考えていることが、実は世界中の大きな流れやこととつながっていることをNWECに行くたびに感じます。
 世界とはいかないまでも、日本中から集まってくる方々と意見交換をすると「共感」と「違い」を感じます。
 1994年から1997年までパプアニューギニアという国に住んでいました。その後、埼玉県に住むことになるのですが、当時、埼玉県の副知事をされていた坂東眞理子さんのお話を伺う機会がありました。
 「男女共同参画社会」に共感と興味を持ち、それ以来、「男女共同参画」に関わってきたのだなぁ、と思います。
 昨年から夏のフォーラムには参加しています。私よりも若い世代のワーキングマザーたちと出会い、あるいは仕事はしていたけれど、地域へのつながりが持てない、地域デビューができないおじさんたちと出会って、私個人の感じでいた課題と根本でつながっている共通の課題解決に向けてのワークショップを実施しました。
 一緒に企画し参加してくれた、ワーキングマザーたちも、おじさんたちも「来年もまた行きたい」といってくれます。
 「私ひとりの悩み」「私個人の課題」と思っていたことが、口に出して、行動していけば、こうやってつながって、大きな広がりをみせるのだということの実証です(おおげさですが)。
 人に伝えていくことは、それも今までの価値観でない新たな価値観を伝えていくのは、難しいことではありますが、NWECという場所があって、そこに集う人たちが支えになってくれているのだと思います。

祝・国立女性教育会館開館40周年に寄せて
新潟県 茨木 むつ子(いばらき むつこ)さん 67歳

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 平成9年4月、教員であった私に県生涯学習推進課・副参事の辞令が出ました。行政に所属することも成人教育や婦人教育に関わることも初めてのことでした。何をすればよいのか先が見えないまま、県庁16階で右往左往しながらの1カ月余が過ぎていきました。
 そして5月末、「平成9年度婦人教育・家庭教育・ボランティア行政担当者会議」に派遣されたのです。初めての県外出張、初めての国立婦人教育会館でした。
 1泊2日の担当者会議は、「婦人教育・家庭教育・ボランティア活動に関する最近の動向」「生涯学習審議会の概要」「国の政策説明」「活動事例報告」と続きました。全日程を通して夢中で話を聴きメモを取りました。このノートはA5判14ページにもなりました。国の担当官の説明や各県担当者の話を聞いていると、県の婦人教育担当としての勉強不足を痛感させられました。同時にここでは私は貴重なものを得ていました。帰郷してからの職務に、担当者会議の記録ノートや、会館でつながった国・各県担当者とのネットワークが大きな助けとなったのです。更には、担当者会議に参加したことで。自分に課せられた仕事の方向性が見えてきました。このように嵐山・国立女性教育会館は、県の婦人教育担当としての私、その後の私にとってスタート地点でもあり貴重な拠り所ともなったのでした。

 男女共同参画社会形成の促進に資することを目的とした国立女性教育会館の果たす役割はますます大きくなっています。国立女性教育会館の一層の充実・発展と、スタッフの皆さまのご健勝・ご活躍を心より祈念いたしております。

ターニングポイント
広島県 エスポワール(東広島市男女共同参画推進室) 内山 和美(うちやま かずみ)さん 58歳

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 20年前、専業主婦の私が、社会に大きく一歩を踏み出すきっかけの場所がNWECです。ジェンダーフォーラムで初めて NWEC へ行ったときは、興味本位でいろいろな研修室を見て回り、幅広い活動内容に驚き、知らない世界の多さに刺激を受けました。
 自分たちもあの場に立ちたいと、数年後寸劇とお話で参加を申し込みました。決定してからが大変で、仕事や家庭の調整をして夜行列車内で最終打合せをしました。宿泊する数日間で、近県の活動者と知り合いになれたり情報交換をすることで、現在の私の活動につながっています。皆、その時できることをやり切り、新しい道を切り開いています。
 初め集合写真を撮った細い木が、数年後参加した折には、大きく枝を張っていたのが印象的です。自分自身も NWEC も大地にしっかり根を張り、未来に向けて成長できることを願っています。

目から鱗が…
新潟県 新潟県生涯学習協会会員 梅津 玲子(うめづ れいこ)さん 64歳

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 「すべての子どもたちがどんな差別にも屈することなく、互いを敬い合い、自他の尊重が当たり前の世の中になってほしい」と願い、私にできることを、できる所で、肩肘張らずに頑張ってきたように思います。
 学校を定年退職して4年目。振り返ると、私のターニングポイントは平成7年の「国立女性教育会館」であったと…。もし、国立女性教育会館に何度も足を運び、男女共同参画社会の実現に向けての学習をしてこなかったら、今の私はないのです。
 明治生まれの両親に育てられ、恥ずかしながら成長するにつれ、女性は男性に従い、男性を支えて生きていくのが幸せな生き方であると思い込んでいた私。ベテラン女性教員がいるにもかかわらず、若い男性教員が学年主任や教務主任などになっていくことに疑問も持たずにきていました。また、固定的な性別役割分担は当たり前のことであり、結婚してからは、仕事と両立させなければならないと必死でした。夫は協力的でしたが…。
 そんな私でしたから、会館で学んだ内容は「目から鱗」。出会う方々はみな輝いており、憧れでした。そして、自分がいかに小さいか思い知らされ、ジェンダーの再生産を知らずにしていた自分を反省しました。たくさんの「気づき」を与えてくださった国立女性教育会館に感謝です。これからも、ずっとずっとみんなの「心の拠り所」となっていてください。

限りない学びと青春の私のキャンパス!
埼玉県 文化ボランティアコーディネーター・元ヌエックボランティア 大久保 邦子(おおくぼ くにこ)さん 1939年生まれ

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 「ヌエックって、どうしてこんな辺鄙なところにつくったのかしら?」と、はじめてやってくる地方からの参加者によくいわれたものです。
 でも、そんな彼女ら彼らも2度3度とやってくるうちに「日頃の忙殺を忘れてしまう…」と、その居心地の良さを満喫し、満足するようになったものです。
 今年ヌエック開館40周年…。私がヌエックに関わったのはオープンからきっかりの20年で、会館ボランティアとしての関わりです。
 今、20周年のボランティア記念事業で歴代館長4名をお招きしての公開座談会「歴代館長は語る ヌエック誕生の歴史、そして…」を懐かしく思い浮かべております。
 記念誌の<公開座談会>の冒頭には、「国立婦人教育会館の20年とボランティアの活動を歴代館長の目を通して振り返る。そして今後の婦人教育施設ボランティアの課題と方向、男女共同参画社会の形成との関連などについて語り合う」と記しました。
 公開座談会「パートⅠ:ヌエック創設秘話」では、人びとが豊かな空間で学び、交流し、リフレッシュできる場としての意義や、ボランティア導入に当たっての経緯など、創設の秘話が生々しく語られました。
 今思えば、私にとってのヌエックボランティアの20年は、青春であり、限りなく豊かな学びのキャンパスです。
 活動は、週一日の新聞切り抜きの整理でした。活動を続けるうちに、多くの発見や課題にぶつかり、でも、そのことが仲間との学習や、5周年、10周年、そして20周年の記念事業へと結びついたのです。気がつけば、交流会やセミナーといった自主的・自発的な活動になっていました。
 全国からの彼女・彼らが学び、交流し、リラックスできる、そんな施設ヌエック!情報と交流の宝庫です。
 ヌエックがあったからこそ活動ができ、多くの仲間ができた…すべては、館の大きな理解と支援に支えられていた…そんな思いに気づく今日この頃です。

ヌエックを利用した時のエピソード あれから36年
長野県 千曲市議会 大澤 洋子(おおさわ ようこ)さん 64歳

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 ヌエックに最初の研修に来たのは36年前。おなかに出産予定日の10か月目に入っていた。子どもが生まれてしまえば、しばらく学習の為遠出はできなくなるからと思い、医師に相談をして10月の1泊2日の研修に来た。
 その時の子は今36歳になっている。子どもが生まれてからも学習会には出かけ続けていた。自分の年齢も64歳になった。2012年に千曲市の議会議員に当選し、22人の定数の内4人の女性議員で力を合わせている。
 学び続け、行動し、広げていく男女平等社会!誰もが自分の人生の主人公で幸せに生きていけることを願っている。

ヌエックとの出会い・学び・研修・今
埼玉県 源リウ会 黒木 睦子(くろき むつこ)さん 79歳

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 私の人生にとってヌエックは、「身近な施設の利用」と題して長女の小学六年生の時のPTAの活動として、訪れました。そして、そこで学びましたことで、考えまして、翌年40才から通信教育で中央大学法学部に入学しまして、いろいろとありましたが、7年かかって卒業しました。法学士となりました。
 その後、ヌエックへ近くの方々をおさそいして来ました。
 平成2年9月から「源リウ会」という会を立ち上げました。ヌエックの情報センターで、村山リウ先生のオープリールのテープをお借りして、源氏物語の勉強をしまして、源氏物語全巻54帖を聴講させて頂きました。
 1999年の6月15日に国会で、「男女共同参画社会基本法」が成立しました。その年の秋からヌエックで「男女共同参画フェスティバル」が開催されました。その年から「源リウ会」はワークショップ(当時は別のよび名だったと思います)、その後、夏、8月に「男女共同参画推進フォーラム」のワークショップに続いて運営者として頂きまして、今日に至っております。
 2011年3月11日の日は「交流学習会議」の開催第1日目でした。思い出します。私にとっても、また、ヌエックにとっても大きな出来事でした。東北の皆様の事を今も忘れません。日々お祈りしています。

40年間に関わったすべての人の想い
栃木県 とちぎ男女共同参画センター 柴崎 千春(しばさき ちはる)さん 26歳

メッセージ詳細
 青々と茂った緑の中に静寂な池、神秘的な雰囲気をただよわせる NWECのアーチをくぐるのは 2017年の男女共同参画推進フォーラムが2回目です。自然に囲まれた落ちついた建物のたたずまいとはうってかわって、参加する人々の熱意はぐつぐつと沸き上がっており、その勢いに今年も圧倒されました。
 私はまだ新人だからとか、人生経験が浅いからといって、男女共同参画の分野に対してひかえめな気持ちで挑んでいましたが、2017年のフォーラムには若い男女の姿がたくさん。話を聞いてみると、自主的にジェンダーについて興味を持ち、学んでいる人々だといっていました。主体的に取り組み、当事者意識を持った、自分よりももっと若い人たちの意欲に自分は恥ずかしくなり、もっと自信を持てるように学んでいかねばならないと感じました。
 まだ男女共同参画の問題はたくさん残っているといわれていますが、40年前にNWECが誕生し、それから多くの人が関わり、汗と涙を流し合い、努力した結果今があることを考えると、現在こうして当たり前にいきいき過ごすことができていることは、大変幸せなことなのだと再認識できました。
 これからも50年、60年と歴史を刻み、男女すべてが生きやすい社会をつくりあげるため、いつまでも輝いていってほしいと願っています。

性別問わずNWEC! いくつになってもNWEC!!
石川県 石川県各種女性団体連絡協議会 常光 利惠(じょうこう としえ)さん 68歳

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何度、嵐山の駅におりたち
何度、NWECの玄関を入ったことだろうか。今68歳。
私は、「私」を生きてきたか—
私ひとりの怒りでなく、
と、その度に気づき、力が湧いた。
私は、「私の生き方」を自分で決めてきたか—
私、ひとりの情けなさでなく
と、その度に励まされ、ひとりのカラに閉じこもるなと自分を励まし
そこから進むことを決め、思い、定め
ヒールの音も強く、高く
嵐山の駅をたった。
今、活動の合言葉は「美人長命、才女多忙」「あんなおば(あ)さんに、私もなりたい」仲間を増やそう。
娘や孫世代に伝えている。
「嵐山に行っておいで!世界が広がるよ」と。

ことに、おんなたちの人生は“選ぶ”ことを迫られることが多い。
どんな人生を、どんな生き方をしてゆくのか、自分の芯を太く、強く、しなやかにすることができるよ。NWECで。

開館40周年記念メッセージ
埼玉県 サンシャイン・ドリーム企画・NWECボランティア 田口 美恵子(たぐち みえこ)さん

メッセージ詳細
 緑豊かなすばらしい環境の学び舎がここにあり夢実現の為にはここが最高!!と決めたのは今から30年前のことだった。1977年NWECの設立された同じ年に長女を出産し職業人としての生活から子育ても大切なことと専業主婦になり3人の子育てをしながら、何かをしたいとひそかに思い続け、子供連れで社会参加し始めたのがきっかけで市民活動を開始した。
 ある時、新聞にNWECのボランティア募集という小さな記事が目にとまり、直ちにTELするとすぐ来て下さいとの返事。ここで人間生活のすべての事が学べるという喜びでいっぱいだった。
 あらから20年、さまざまな視点の学びがテーマごとにすてきな講師の方々や仲間たちと共有できるのですから自分の興味の持ち方次第ですばらしい成果が出ると確信したのです。出会い学びお互いの育ち合いの精神さらに努力と研鑽によって、夢の実現へと向かう方向が見つけ出せる。
 そんなうれしさの中で日々行動しておりますが、試行錯誤の中にも次なる難しい課題も生まれるが身近な所から一歩一歩クリアすることによって、夢は大きく広がり楽しみが、増すのです。芸術文化の振興と次世代育成企画、地域の活性化のために癒しの音楽を提案している今この頃です。

市民活動のための学習・実践の基盤
山口県 高齢社会をよくする下関女性の会(ホーモイ)  田中 隆子(たなか たかこ)さん 71歳

メッセージ詳細
 ヌエックの男女共同参画推進フォーラムに毎年参加して15~16回目になると思います。
 市民活動立ち上げからフォーラムでの学習が活動の基盤になっています。2003年設立と同時に「市民福祉講座」を学習の場として開催し、15年目になります。フォーラムで出逢った講師の方々に登壇して頂きました。最初の介護保険見直しから介護予防に力を入れる必要性を学び「介護予防のためのサロン」を開設して15年目になります。その中で体力だけでなく、脳力もトレーニングする必要性から「認知症問題」を学び「認知症を地域で支えるまちづくり下関ネットワーク委員会」を立ち上げ、毎年「認知症下関大会」を開催して8年目になります。それには600~800人の参加者があります。2006年「日本女性会議 in しものせき」では13分科会の部会長を務め、ヌエックの方々に助けて頂いた事で評価を受けました。2013年設立10周年記念フォーラムでは樋口恵子氏・上野千鶴子氏・冨安兆子氏に登壇して頂き、講演会・シンポジウムを開催し、1000人を超える参加者がありました。
 昨今、格差や女性の貧困が問題になっています。静岡市の女性センターで、静岡大学などの学生が中心になり学習支援をしている内容のワークショップに参加したのがきっかけで、「子どもプロジェクト」を立ち上げました。その中で「生野きらきらこども食堂」を2016年7月から毎月 2回(第1・第3火曜日)、夏休みは毎週開催しています。2017年7月から学習支援も開始し、居場所や多世代交流の場にもなっています。

会館はやさしく癒してくれた
新潟県 三条女性会議所属  田辺とも子(たなべともこ)さん 68歳

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 新潟県立生涯学習センターの指導者に引率され、国内女性研修を受講した時が会館の初体験である。その後、ジェンダー研究フォーラムや、2002年の全国交流フェスティバル実行委員をつとめるため春夏秋冬おとずれることとなった。仲間たちと参加するジェンダー研究フォーラムは毎年の恒例行事となり、皆で元気を充電しあい、いきおいワークショップを開催したことも懐かしい。
 2004年、会館行き目前の7月、新潟・福島豪雨が発生。床上110センチの被害に見舞われた我が家ではあったが、隣接の金属加工場は早々に復旧し、2週間後に仕事を再開、その他の片付けも進み、家族一丸となって新たな目標に向かう、それなりに平和な毎日を過ごす私であった。
 しかし時に、えも言われぬ喪失感におそわれることもある8月初旬、「今年のヌエック、やめようかな?」ポツリ言うと、「エッ、行くでしょ!」と娘たち、息子と夫もうなずき、迷う私をおくりだしてくれた。会館までの道中、仲間たちとのおしゃべりは格別で、「今年も来た!」ということが、すでに目的を果たしてしまったようで、その年の学習はおぼろげになってしまった。フォーラム最終日、静かになったロビーで一人、木立を見ていた。風が葉をサワサワと鳴らす。葉っぱたちが話しかけてくるように思われた。大きな自然の中につつまれている自分を感じた。心が落ち着いた。被災以前の私の日常が鮮やかに思い出された。
 当時の三条女性会議代表として活動を休まずつづけられたのは、仲間の存在とともに、ヌエックでの学びが大きな力となっていたのだと考える。そして、気づけば心のよりどころとなっていた会館の広大な庭である。多種多様な植物と樹木が永遠であることを願う。

私とNWECのこれまでとこれから
岡山県 生活カウンセラー・コンサルタント、 世界女性会議岡山連絡会代表、 岡山県日本中国友好協会副理事長・女性委員長、 岡山県婦人問題懇話会運営委員長 時實 達枝(ときざね たつえ)さん 65歳

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 私とNWECとの最初の出会いは、およそ35年前に都道府県代表による日中友好協会女性会員懇談会に出席した時です。第一印象は、緑豊かな広大な敷地の中に行き届いた心温まる雰囲気に満ち溢れていました。懇談会は数回重ねられ、(公社)日本中国友好協会全国女性委員会として組織されました。
 今年2017年は日中国交正常化45周年、来年2018年は日中平和友好条約40周年です。
 20年前には国交正常化25年、平和友好条約20年及び北京会議を記念して、中国女性代表団を迎えて「日中女性フォーラム」を NWECで開催したことも懐かしい思い出です。
 1995年には「第4回世界女性会議・NGOフォーラム」後、世界女性会議岡山連絡会及び北京JACとして、NWECへの資料提供や毎年夏の「男女共同参画フォーラム」でのワークショップの開催、展示等での約10年の参画が楽しい思い出です。
 この10年間で国内外の多くの友人ができて刺激を受け、私自身さまざまな面でとても成長したことに感謝申し上げます。
 NWECのアーカイブスにも微量ながら協力した記憶もあります。
 人生100年を考えると40年はまだまだ若く青年です。
 国内外のジェンダーに係る課題を、多くの多様な主体による連携・協力により解決できるナショナルセンターとしてのNWECの強固な意志を示していただくことに期待します。

NWECとの出会い
埼玉県 ポトマック茶論・国際文化交流(生活の美学) 中島 正子(なかじま まさこ)さん 68歳

メッセージ詳細
 アメリカから帰国したら東京が息苦しく、埼玉の大宮に引越して来た。たまたま実家の別荘が欧米家具の入る家であったこと、畑や緑が多く「市民の森」公園や風車が何となくユネスコ村の昔のイメージが思い出されたからだ。
 メリーランド州ポトマックに住んでいた為「ポトマック茶論サロン」と名付けて、アメリカ人に日本の料理やお茶など文化交流のボランティアを長年していたので、大宮でも日本版国際文化交流を継続。そんな折NWECの存在を知り、初めは嵐山を京都と間違えたが埼玉とわかり、NWECに毎年通った。情報フォーラムなど各国代表者のシンポジウムはじめ、数々のイベントに参加し、国内外の方達と知り合えたのは私の宝物。NWECから直行して私の「ポトマック茶論」に見えた東南アジアのある教育関係所長の方、毎年男女共同参画の数多くの方達との意見交換やそれぞれの活動内容はお互いを刺激し合い充実した時間を共有できた。

NWECの風を山口に~学びと交流を力に、出会った仲間に感謝!!~
山口県 やまぐちネットワークエコー 西山 香代子(にしやま かよこ)さん 71歳  

メッセージ詳細
 開館40周年、おめでとうございます。
 40年前、仕事と子育ての両立に悩み、やむなく退職。40歳を迎えた頃、女性の社会参加を推進する講座「やまぐち女性カレッジ」で学ぶ機会を得ました。そこで日本における固定的性別役割分担や男女共同参画について学び、「これからは社会の慣習にとらわれず、自分で学び、自分で決定する力が必要なんだ」と強く思いました。その後、「生涯学習ボランティア相談」の仕事と同時に、「やまぐちネットワークエコー」の団体を設立し、男女共同参画を推進する活動として事務局を担当しました。その時、生涯学習や男女共同参画による女性リーダー育成を推進するには、自身が視野を広げてスキルアップしないと動けないという危機感を持ち、NWEC での研修が始まりました。
 世界・国の動きや全国の素晴らしい実践事例、そして講師や同じ目的を持つ仲間の皆さんとの出会いは、実に魅力的でした。特に、毎年開催される「女性学・ジェンダー研究フォーラム」には、これまで2回、ワークショプを企画運営させていただきました。響書院の和室には、会場がいっぱいになる程の参加をいただき、その時の達成感は今でも大切な思い出です。また、「地域における男女共同参画推進リーダー研修」では、課題解決のためのプログラムデザインを学び、山口での助成事業等のプレゼンに役立ちました。そして、2年前「学習オーガナイザー養成研修」にも参加し、データで読み取り、現状分析し、企画運営していくプロセスを体得しました。私にとっての再チャレンジに大きな「力」をいただいたNWECに心より感謝しています。少子高齢社会の進展により、女性への期待は年々高まっています。ぜひこのチャンスに、女性たちのキャリアを深める学び、実践・交流の拠点として益々のご発展をお祈りしています。

「立候補します」と言えたのは「NWEC」での研修から
熊本県 県つばさの会  野口 ミナ子(のぐち みなこ)さん 75歳

メッセージ詳細
 平成14年、宇土・富合合併推進協議会設置。協議項目はすべて合意し、地区説明会を経て、平成15年12月19日に合併協定書調印式が行われた。しかし3日後に富合町議会が宇土市との廃置分合議案を否決。
 私はその合併協議会の委員を務めていた。町議会は協議項目をほぼ全会一致で承認していたのにである。
 その後公聴会、住民アンケートなどが実施されたが、住民、住民間の混乱は異常な状況になった。平成17年熊本市との任意協議会が設置された。その後町議会解散請求され解散。平成18年7月、町議会議員一般選挙が行われた。
 その選挙に私は「立候補します」と手を挙げた。それが言え、議員になったのを私は県の「男女共同参画社会づくりリーダー研修会」に参加したことが大きいと思う。
 国立女性教育会館での研修後の報告書に次の言葉があった。
 「“私はこう思います”とはっきり意思表示できるようになりたい。自分をもっと発言し行動するためには、自分の頭でよく考え、仲間と議論し、本を読み、学ぶことを続けていこう」と。
 政策を決めるのは「議会」だ。手を挙げ、仲間たちと「いい選挙」をした。熊本市との合併により、3年弱の議員活動だったが、大切な経験となった。

私にとってヌエックとは
岡山県 岡山県男女共同参画推進センター情報交流員  橋井 順子(はしい じゅんこ)さん 54歳

メッセージ詳細
 開館40周年おめでとうございます。私のヌエックとの出会いは、ジェンダースタディを深めた先にある聖地のような場所でした。
 広島から岡山に転居した私は、平和学習をしなければ、と思い、広島女性大学にアクセスしました。けれどもそこは女性問題の学習の場、目からうろこの講師の言葉に出会いました。
「女性問題が解決すれば、全世界の半分をしめる女性が救われる」
 その後は時代が私のために進んでくれました。俄然やる気になった私が卒業の時に言われた言葉は、「来年は岡山で日本女性会議があるから参加してみたら」。何かわからないまま参加した私は著名な先生方とおしゃべりし、備前市の方の目にとまりました。「男女共同参画推進レディになりませんか?」日本女性会議の楽しさを引きずったまま OK の返事をし、今に至るまで備前市の推進をしています。
 また、日本女性会議でであったグループより、「ヌエックが基本法の草案に取り組んでいる」と聞き、「国立女性会館」というものがあるんだ!!と目指すところとなりました。折も折、岡山県の男女共同参画アドバイザー養成講座で出会った仲間と「小学生のジェンダー意識調査」に取り組み、それを夏のヌエックで発表するというではありませんか。すぐについていきました。そのときの感激は今でも忘れません。一人ひとりが認め合い、困っていたら手が差し伸べられる、ロールモデルとシスターフッドの見本市のようでした。「ヌエックに行ったら元気になれる」「安心して素のままの自分でいられる」という言葉が飛び交い、「そうだよな~」とほっこり納得したものです。
 今、岡山県男女共同参画推進センターの職員をさせていただき、ヌエックの研修に毎年参加し、オーガナイザーの修了証もいただきました。これをいかして、岡山県のセンターがヌエックのように「女性が安心できる場所、元気になれる場所」になるよう、取り組んでいきたいと思います。

希望の実現にむけて
熊本県 会社員 橋本 純子(はしもと じゅんこ)さん 55歳

メッセージ詳細
 大学の男女共同参画推進に関わる仕事をしていた際、担当の教授が毎年NWECのフォーラムに出席する姿を見ていつの日か私も行ってみたいと願っていた。
 とはいえ、地方に住む私からすると、嵐山は遠い場所。
 半ばあきらめていたが、この夏、NWEC40周年という記念の年に、初めて訪れる機会を得た。
 88歳になっても精力的に活動を続けておられる赤松良子さん、日本人女性として初めてヴェトナム戦争を取材した平松昌子さん、元内閣府男女共同参画局長の名取はにわさん等々、これまで雲の上の人物と思っていた方々と次々にお会いして直接話をすることができた。
 男女共同参画やダイバーシティといった言葉に加え、女性活躍推進と、近年は社会における女性の地位向上は順調に進んでいるように見えるが、地方都市の現状はまだまだ。
 いまだ「男尊女卑」的発想が当たり前のようになされている。
 男女共同参画社会に向けての進み具合が遅々としている状況に絶望的な気分になることも少なくなかったが、今回、長年にわたり活動を継続し、今なお、さらには未来に向けて力強い行動を展開する方々に出会えたことは、何よりの収穫であった。
 わたしの拠りどころ(希望)は、十代の娘が社会に出る時には、女性も男性も誰もが生きやすい社会になっていること。
 これからは、パイオニアとして先を行く先輩たちに負けないよう志を高く持って、若い世代にも引き継ぎながら男女共同参画社会の早期実現に向けて歩み続けていきたい。
 NWEC敷地内に大きく育った樹木のように、女性の希望が大きな成果となって実りを迎えられるよう、国立女性教育会館のさらなる貢献に期待している。

NWECに支えられてのセンター運営
静岡県 特定非営利活動法人浜松男女共同参画推進協会

メッセージ詳細
 NWECとの出会いは、私が浜松市の男女共同参画センターを担うことになった平成22年度に始まります。自己の主宰する法人組織の運営をNWECに支えられて立て直したという感覚でいます。
 その頃指定管理者制度は既に導入されており、当法人はセンターの運営者ではありましたが、センターの建替え計画や市の組織再編計画など様々な環境変化が重なって、従来型組織での指定管理の継続は大変難しいものになっていました。そこで、平成21年度に組織を変革して、理事数名で全く新しい体制を組んで一からの指定管理応募に取り組みました。
指定管理を継続させても、それまでの職員の継続雇用は適わない状況にあり、蓄積した男女共同参画推進のノウハウを失いかねないという法人の危機にあったのです。
 建替え中に別所に設置されたセンターの指定管理を、何とか取得することができました。指定管理一年目の平成22年には、組織の長として、センターをどのように運営するのが良いかを学ぶために、NWECで行われるリーダー研修に参加しました。そこで得た知識・技術がその後の運営にとても役立ちました。それまで男女共同参画に漠然とした理解でいたものが、NWECで体系を学ぶことで頭の中が整理され、国が進める男女共同参画政策の在り方が明確になりました。
 平成27年度には建替え後のセンターの指定管理も取得できました。7年間を振り返ると、当法人が運営する浜松市のセンターは格段に成長したという実感があります。現在の職員体制は平成22年度以降の新規採用者で構成されています。そのうち男女共同参画推進事業を担当する職員に、可能な限りNWECの研修を受けてもらっています。一部の職員には今では法人の理事も務めてもらっています。NWECのお陰で充実したセンター運営が成り立ち、組織に新陳代謝があっても今後の針路に心配はありません。

「学び」の大切さを実証したワークショップ
福岡県 北九州婦人教育研究会 古川 裕子(ふるかわ ゆうこ)さん 70歳

メッセージ詳細
 「北九州婦人教育研究会の50年の歴史の重みを感じ、学習することの大切さを学んだ」「会の活動は、向学心を共有することが地域づくりにつながる実例」ワークショップ参加者のアンケートに綴られた言葉は温かかった。
 2016年度、会員を対象に実態調査を実施。会員の活動内容は多種にわたり、男女共同参画への関心の深さをうかがわせるものだった。データ化し、丁寧に読み合わせ、仕上げるのに1年以上を要した。報告書は単にまとめるだけでなく、アンケート結果を分析・検証した。
 「北九州市の女性の活動実態」と「地域づくりにおける男女共同参画推進」をテーマにワークショップを企画、2017年度の男女共同参画推進フォーラムに参加した。会と会員のさらなる躍進を目標に北九州市から会員19名でいざ武蔵嵐山へ。
 50年前、北九州市が主催する国内研修に参加した先輩方が、「学び続けることの大切さ」を主張し会を発足させた熱い思いを、改めて体験することができたが、会の躍進のための新たな発見もあった。学び続けることが会員の資質を高め地域貢献につながるという趣旨に基づき、これまで「自主学習団体」であることを自負してきた。しかし、会の活動を発表し全国の方々の意見を聞く機会をいただいた今回の研修で、活動内容を「見える化」する意義を考え、「自主学習団体」に甘んじることなく社会貢献することを考える機会をいただき、会の生まれ変わりを予感させるワークショップとなった。

平成25年度 会館提供ワークショップ 「地域人材・団体の実践活動に学ぶ」 重責と緊張の20分間
北海道 美幌町女性国内研修参加者のつどい「らんざんの会」 松島 信子(まつしま のぶこ)さん 80歳

メッセージ詳細
 8月22日、報告者は全国から5名。その枠の1人でした。各団体の発表時間は30分間と事前に連絡をいただいております。当然としてお話しする内容を持ち時間にあわせて、調整をしてまいりました。ところが当日の打ち合わせ会議で、突然1人の発表を20分間と大幅に縮小されたのでした。さて、どの部分を強調しどこを削除するか開会が迫る限られた時間の中で、的確に整理をしなければなりません。まさにパニック状態です。
 そして本番、「母が贈る子ども劇場」と称する事業の発足と経過などの紹介です。それは全町民に募る基金によって運営され、全児童・生徒にプロの演劇や音楽などを贈る、まさに学校と地域が連携する事業が39年間にもわたって実施されているユニークな取り組みを報告しました。次に国内研修派遣事業が7年振りに復活をし現在第32回生が修了したところです。男女共同参画社会に向けての女性リーダーの育成に、その機会と教育予算を計上くださる教育委員会の取り組みがあります。限られた20分間で会場の皆様に内容をどれだけお伝えすることができたのか、今でも反省ばかりです。あの時の状況を思うとき、会場から拍手をいただいたことがほっとするせめてもの救いでした。私だけが知るピンチ克服
のエピソードなのです。
 国立女性教育会館での数々の研修は、私にとりましてまさに社会教育の指針を学び、女性活動へのエネルギーを実感する原点であります。
 ご縁がありまして4度、研修に参加をさせていただきました。幸運な巡りあわせに心より感謝いたします。

1.私のボランティア活動事始め 2.NWECでの学びが新たな実践の場を創場—「学び」を講座に生かし地域に還元
秋田県 チャイルドラインあきた・日本フェミニストカウンセリング学会 松葉谷 温子(まつばや はるこ)さん 75歳

メッセージ詳細
1.私のボランティア活動事始め

 1989年、(財)秋田県婦人会館は、駅に近い中心街の大通りに面した最新の複合文化施設の6階にリニューアルオープンした。
 当時私は40代の半ば、子育てに余裕ができ、第2の個育て期にあり、新任の相談員として、この会館の場が、来る人の力を借りながら、人が溜まるだけではなく、新たな情報や人に触れることで、切磋琢磨して、再び思いを深め強めて流れ出ていく、その流れに勢いをつけるポンプのような役割を果たす「場」にしたいと、新たな事業に意欲を燃やした。
 新規事業の1つ、女性の社会参加としてのボランティアの養成とその活動支援を担当した。
 既にボランティアの導入と活動支援で実績のある国立婦人教育会館への視察研修後、養成講座に30~50代の意欲に燃える多くの女性が参加し、秋田県婦人会館を拠点とする国際交流における日本語教室と、国際交流の場を創るオープンクラス、情報を収集発信する情報ボランティアのグループが誕生し、今に到っている。
 当時、婦人会館・男女共同参画センターに行けば、何かわくわくするような新しいことが始められると思い多くの人が集まってきた。
 私自身も、先駆的なNWECのボランティア活動から自主的に発展していった社会教育施設ボランティア、更に文化ボランティアの集会に参加しながら多くの人と出会い繋がり刺激を頂きながら、秋田での活動の糧にしてきた。今もささやかながら市民活動を続けていられるのも、NWECで出会い、繋がり、支え合ってきた仲間と秋田で共に活動してきた仲間の存在があるからと思い、感謝している。

2. NWEC での学びが新たな実践の場を創場—「学び」を講座に生かし地域に還元

 NWECは、私にとっては、常に女性問題・男女共同参画等のその時代の最先端の研究成果や実践について、直接その専門家から学ぶことができる場であり、全国の実践家に出会い、支え合える繋がりを生み出す場であり続けました。またこの学びを地域で活かし、仲間と様々な講座を企画運営し、自主活動グループの誕生を支援してきました。特に女性問題の進展に伴い、男女共同参画の取り組みが、官と民の協働により大きなうねりとなっていった 1990年から2000年にかけて、世界女性会議、「男女共同参画ビジョン—21世紀の新たな価値の創造—」の答申、それらを受けての「男女共同参画2000年プラン・国内行動計画」の策定と、そこに示された基本理念や考え方について直接当事者から学ぶことは、その後の活動や生き方のよりどころとなって来ました。1999 年男女共同参画社会基本法も施行され、これらの理念を共有する仲間の支えもあって、2002から2006年、市役所の助役として男女共同参画等を進めるべく、行政に参画する機会を得ました。
 この4年間は、私にとって、仲間の代弁者としても、極めて貴重な経験となりました。官を知り、「市民」としてこれまで以上に自分は何をして、共にどう生きるかを考え活動するようになりました。独りの力は所詮一人分でしかなく、それぞれが、その多様性を尊重し、その個性と力を発揮して共有する時と場を生き、それぞれの思いを形にしていくことで歴史は生み出されるように思います。
 私は、相談活動、DV被害者支援、講座の企画運営、市民活動を通して、「支援」とは、知識・情報と実践の間で、当事者の思いを尊重し、その人のエンパワメントを応援することであると考えるようになりました。これからも、NWEC が、時代・社会の転換期に、確かな情報を発信し、国民の議論のるつぼの役割を担い、地方の活動と学びを支え続けて欲しいと思っています。

国内研修に参加して
北海道 美幌町らんざんの会  杢師 美和子(もくし みわこ)さん 65歳

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 私は「ヌエック2003・全国交流フェスティバル」に参加しました。あれから、早くも14年がたちました。
 美幌町自治会連合会女性部会の役員になって、日の浅い私にこの様な大きな国内研修に参加しても良いのだろうかと思っていた所、国内研修に参加してきた先輩の役員さん達に後押しされ参加してきました。
 美幌町より2人で、私は遠くへ出かけた事がなかったので、本当に不安でした。
 飛行機に乗り、電車に乗り、あたりは薄暗くなったころ、やっとの思いで会館にたどりついた事を思い出しました。
 3日間の研修でしたが「男女共同参画」の言葉もあまり知らず、大変勉強になりました。
 参加した事で、地域社会のあり方や、これからの女性の役割について、以前より深く関心を持つことができました。
 その後、美幌町男女共同参画プラン推進協議会、平成25年より人権擁護委員となり、男女共同参画のグループで、活動しております。
 国内研修に参加し、勉強してきた事が現在の活動につながり、役に立っていることを実感しております。

NWECの研修がきっかけで議員になった!
福岡県 北九州市議会 森本 由美(もりもと ゆみ)さん 51歳

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 1997年8月、東京から北九州市に転職したばかりの私は、職場から国立婦人教育会館の「女性学・ジェンダーフォーラム」に研修で派遣してもらいました。ワークショップは各自興味のあるものを2つ選べたのですが、なぜか私は2つとも女性と政治を選択しました。
 アメリカの大学院で政治学を学び、アジアの途上国女性の支援に携わりたいと1年前に帰国してきたのですが、参加したワークショップで日本では女性議員があまりにも少ないことを知り、大変衝撃を受けました。そして、自分の足下である日本で女性議員を増やすことが自分の使命だと考えるようになりました。
 ワークショップを主催していた福岡市のグループに研修後、すぐ連絡を取り、そのグループが実施した女性の政治スクールを受講し、翌年1998年に地元北九州市で女性が政治や選挙を学ぶ女性団体を立ち上げ、学習会や政治スクールを開催しました。この活動がきっかけで政党に立候補を要請され、女性議員を増やすためならと決意をし、2000年6月の総選挙を経て、2001年1月末の北九州市議選で初当選しました。現在5期目になりますが、男女平等参画社会の実現と女性議員を増やすことは、私の活動のベースとなっています。
 NWECの研修で女性と政治のワークショップを受講していなかったら、おそらく私は議員になっていなかったと思います。
 多くの女性にNWECの研修を受講してもらい、私のように新しい自分や進むべき道を見つけもらいたいです。