開館45周年記念理事長インタビュー(第6回)

開館45周年記念理事長インタビュー(第6回)

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 開館45周年記念理事長インタビューの第6回は、ジャーナリストの浜田敬子さんです。
 浜田さんは、1989年に朝日新聞社に入社。前橋支局、仙台支局、週刊朝日編集部を経て、AERA編集部へ異動。記者として女性の生き方や働く職場の問題、また国際ニュースなどを中心に取材し、米同時多発テロやイラク戦争などは現地で取材を行いました。AERA副編集長、そして女性初のAERA編集長を経て、2017年に朝日新聞社を退社。その後、世界17カ国に展開するオンライン経済メディアBusiness Insiderの日本版統括編集長に就任。2020年に退任し、現在はフリーのジャーナリストとしてテレビ番組のコメンテーターを務めるなど、メディアを通して、日本社会のジェンダーギャップについて発信し続けています。
 メディアで働く中で大事にされていたのは、時代の“半歩先”の空気を世の中に伝えること。特に女性や若い世代が心の中で思っていてもうまく言葉にできていない想いを、取材で引き出し、記事で可視化させるーー。それによって社会に求められるもの、時代はこう変わっていくだろうということを伝えることを心がけてこられたそうです。テクノロジーによって社会や生活、人々はどう変わるのか。人々はどんな働き方や人生を望んでいるのか、どんな抑圧から自由になりたいと思っているのか、人々の声を聞くことによって微細な変化を見逃さず、伝えていきたいそうです。
 今回のインタビューでは、ジェンダーに関して発信することの困難やNWECに今後、期待することについて伺いました。

— 日本のジェンダーギャップの現状やその解消の重要性について、メディアで発信されるようになったきっかけやご苦労された点について教えていただけますか?

浜田:1989年に朝日新聞社に入社して、1999年にAERA編集部に異動になりました。実は、AERA編集部に異動したばかりの頃は、ジェンダーに関しての意識は決して高いとは言えませんでした。編集部でも当時は、女性の生き方や働き方はニュースにならないと考えられていました。女性誌もファッションや美容の記事が中心でしたし。私もAERA編集部に来るまでは事件や政治を取材していたので、「女性の問題がニュースなの?」と考えていました。男性中心の組織にいると、企画を通すために私自身が男性の思考や目線になっていたのです。
 その考えが変わったのは、AERA編集部で女性の先輩たちと仕事をしたことがきっかけでした。当時のAERA編集部には1つ上の女性の先輩が4人いたのですが、彼女たち男女雇用機会均等法世代がなかなか企業で働き続けられないことや、一旦退職して専業主婦になればなったで、子育てに悩んだり孤独な日々を送っていることなどを積極的に取り上げていたんですね。先輩たちの記事は多くの読者の支持を得て、部数も少し伸びたんです。こういうニュースが求められているんだと徐々に私の考えも変わっていきました。特に、実際に自分でも大学時代の同級生などを取材してみると、さまざまな立場の女性がいて、それぞれの葛藤などを知ることができて面白かった。当時はまだ「ジェンダー」という言葉はメディアでは使っていませんでしたが、なぜ女性だけがこれほど生き方や働き方で制約を受けるのだろうか、望んだキャリアが描けないのだろうかという問題意識を持つようになりました。

浜田敬子さん

 ですが、私がAERAの編集長になるまでは、常に編集長は男性でした。企画を通すには男性上司にOKしてもらわなくてはならなかった。そのために、男性たちが耳を傾ける内容は何か、どうアプローチしたら企画が通るのか、知らず知らずのうちに男性に「忖度する」癖がついてしまっていたと思います。不本意でしたが、男性中心の社会や組織に合う文脈にして企画を提案するという時代は15年ほど続きました。
 それが自分自身がトップの編集長になると、思っていたことができるようになった。女性が意思決定層になったということが大きかったと思います。家庭内における家事育児の分担をテーマにした企画では、思い切って表紙に「夫たちよ 食器洗いぐらいでドヤ顔するな!」という見出しを付けたところ、男性からは「怖くて家に持って帰れない」という反応がありましたが、女性たちからは「よく言ってくれた」という大きな反響がありました(笑)。
 それでもジェンダーやフェミニズムという言葉は、当時はまだ使えませんでした。2000年代に始まったジェンダーバックラッシュの影響もあり、その言葉に対するアレルギーのようなものが社会にもあったし、正直会社の中にもありました。それをはっきり使えるようになったのは、日本における#MeToo運動のきっかけとなった伊藤詩織さんの勇気ある告発だったと思います。その後2018年に起きたテレビ局の女性記者に対する財務省事務次官のセクハラ事件も大きかった。当時は、既にBusiness Insider Japanに移っていたのですが、さすがに今はないだろうと思っていた深刻なセクハラを、周囲の若い女性記者達も受けているということがショックでした。それは自分たち上の世代が、空気を壊したり、仕事を干されることを恐れて、セクハラをやんわりとかわすだけで、はっきりと「No」と言ってこなかったことがあるのではないかと反省しました。そのことから、Business Insider Japanでは、ジェンダーの問題を積極的に取り上げています。

— NWECは全国の男女共同参画センターのセンターオブセンターズとしての役割を求められていますが、これからのNWECに期待することは何でしょうか?

浜田:一つは、ジェンダーの活動や研究をしている知見を持った人たちのハブになってほしいです。あとは、東京にちょっとしたサテライトオフィスを持ってほしいですね。取り上げるテーマによっては嵐山に通うことが難しい場合があるので、オンラインや東京で研修ができるように進めてほしいです。そして、最近はジェンダーに関心のある若者が増えているので、そういう人たちにもリーチしてほしい。各地の男女共同参画センターに若いジェンダーに関心がある若い層にきてもらったり、あるいはアウトリーチをかけて、世代を超えてネットワークを築けるような拠点になることを期待しています。

萩原なつ子と浜田敬子氏の写真

浜田 敬子(はまだ けいこ)

1989年に朝日新聞社へ入社。1999年からAERA編集部に異動し、副編集長などを経て2014年からAERA編集長に就任。2017年に朝日新聞社を退社後、Business Insider Japanの統括編集長に就任。2020年に退任し、現在はフリーランスのジャーナリスト。2022年一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構を設立。同年ソーシャルジャーナリスト賞受賞。著書に、『働く女子と罪悪感』集英社2018、『男性中心企業の終焉』文春新書2022、『いいね!ボタンを押す前に』(共著)亜紀書房2023など。