開館45周年記念理事長インタビュー(第8回)

開館45周年記念理事長インタビュー(第8回)

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 開館45周年記念理事長インタビューの第8回は、落語家の古今亭菊千代さんです。
 菊千代さんは、1984年に広告代理店退社後、古今亭圓菊門下に入門。1993年に三遊亭歌る多さんとともに、女性落語家として初めて真打(しんうち ※1)に昇進。当時は、女性落語家はほとんどおらず、女性落語家は長く続かないと思われていましたが、「噺(はなし)がうまけりゃいい(性別は関係ない)」(※2)という信念で芸に磨きをかけ続け、今年、真打昇進30周年を迎えました。
 今回のインタビューでは、伝統芸能の中で生きる女性として、当時を振り返り、真打に昇進したときの思いや次世代へのメッセージを伺いました。

(※1)東京の落語家の最高位。寄席の最後(トリ)に出演する資格をもつ。「師匠」と呼ばれるようになり、弟子をとることもできるようになる。通常は、昇進までに入門から10年以上かかると言われている。
(※2)入門前、落語家の柳家小さんさんとの対談企画で、菊千代さんが「女性落語家はダメですか?」と尋ねた際の小さんさんの言葉。かねてより落語が好きだった菊千代さんが本格的に落語家を志すきっかけとなった。

— 30年前、真打になろうと決めたときはどんな思いでしたか?

菊千代:落語協会が落語界の活性化のために、ブームとして女性の真打をつくろうと決めた際、私自身は、ゆくゆくは真打になりたいと思っていたけど、その時にはなりたいとは思っていませんでした。ただ、「まだ、なれません」ということは、「生涯、ならなくていいのね?」と捉えられかねない。師匠にも「なれ」と言われたので断れない。それに、同じ女性落語家の先輩(三遊亭歌る多さん)と二人同時にという話だったんです。先輩は、あと1年くらい待てば、男性の先輩を抜かすことなく、普通に順番で真打になれたのに、「もうちょっと修業をしてからと昇進を断ったら、菊千代の昇進の話もなくなってしまうかもしれない」という思いで、二人括りの早めの昇進に応じてくれました。先輩は、二ツ目(※3)になるときに、「女だから早くなれ」と言われても、「男の人と同じ修業がしたい」と言って、坊主頭にするくらいの人だったのに。だから、師匠がそう言うんでしたらって形で話を受けました。昇進が決まって嬉しいというよりは、どどっといっぱい(他の思惑や事情も)乗っかりましたね。もちろん、日本で初めての女性真打という冠もあって、嬉しいことは嬉しいんだけど、嬉しいよりも、怖い、重い。先輩方、特に男性陣を順番として抜かしてしまったので、重かった。

古今亭菊千代さん

— 単に「女だから」という話題性だけではなく、前座(※4)、二ツ目と、いわゆる「ホットジョブ」(※5)を経験し、それまでの実力が認められたからこその昇進だったと思います。しかし、次の世代に繋げるために、女性落語家のパイオニアとして、よく男性社会では男性が下駄を履いていると言われますが、また違う意味の「下駄」を履く勇気が必要な状況だったのではと思います。「女だから」と見られてしまうご苦労もあったのではないでしょうか。

菊千代:落語界に入った当時は、「歌る多はこうしてんのに、なんでお前はこうしないんだ」とか、女は本当に一括りで。二人いるんだから二種類の方が色があるのに、「なんで一つに括りたがるのかな?」って思っていた。だって、男性も300人いたら、例えば10人ずつ似てる人がいるかもしれないけど、それぞれ違うわけだから、300色なくちゃいけないだろうなと。
 ただ、立場が上の人とか、それぞれの色があることをちょっと困るなと思っている人たちなど、女や男という枠組みを作ったり、一括りにしたくなる人もいるんですよね。

(※3)(※4)東京の落語家の階級。入門後、見習い修業を経て、師匠から楽屋入りを許可されると、「前座」に、その後、「二ツ目」に昇進する。
(※5)キャリア形成のきっかけとなる責任ある仕事。

— まさにダイバーシティですね。二人の女性真打の誕生は、「女性でも真打になれるんだ」というメッセージになり、その後の落語家や子どもたちに大きな影響を与えたと思います。

菊千代:そういう意味では、私は「敷居を低くする女」。10年前くらいに、行きつけのお店のドラマーがいなくなり、代わりに習ってやり始めたら、私の他に数人が続いて。「菊千代がドラムをやれるなら、自分もできる」と。実は、私の師匠(先代圓菊)も名人とは違う破天荒な落語をやって、「あれは古典じゃござんせん」と言う人もいる中で人気になり、落語の敷居を低くして、いろんな人が入りやすくした。そういう意味では、私も「女」が落語をやることによって、もの珍しさや好奇心から、多くのお客さんが落語を聞くきっかけになり、落語の敷居を低くしたのかも。女の子も落語界に入ってこられたのは……。うーん、まあ、今の女の子たちを見ていると、私や先輩がいなくても、いつかは入ってきただろうけど。でも、その時に、私自身が「女の子でも落語ができたんだ」と地団駄を踏みながらやけ酒を飲むおばあちゃんじゃなくてよかったなと。

— 最後に、これから女性がさらに活躍していくために、メッセージをいただけますか。

菊千代:やっぱり話し方かな。自分の言いたいことを言うことは大切だけど、相手が言いたいことをちゃんと理解して、受け止めて話す訓練は必要だと思うんです。それに柔らかく返すって、当たり前だけど、なかなか難しいと思うんですよね。男性も女性も、人はみんなそうだけど、例えば、自分に経験があればあるほど、自信があればあるほど、つい、言いたいことを言っちゃう。上手に爪を隠しながら、納得させる言い方、一つ上になれる会話ができるようになればいいんじゃないかな。私もまだまだそのようには喋れないんですけど、そういう意味では落語をいっぱい聞いていただけると(笑)。

萩原なつ子と古今亭菊千代氏の写真

古今亭 菊千代(ここんてい きくちよ)

1984年、古今亭圓菊門下に入門、前座名「古今亭菊乃」で楽屋入り。1988年、二ツ目に昇進、女流芸人の会「撫子倶楽部」結成。1993年、女性落語家として初めて真打に昇進、「古今亭菊千代」を襲名。現在は、浅草演芸ホール・鈴本演芸場・新宿末広亭・池袋演芸場などの定席出演のほか、手話落語、コリアン落語、全国の刑務所・拘置所・少年少女院・更生施設での訪問演芸に精力的に取り組む。また、2002年より東京拘置所、2016年より岐阜刑務所の篤志面接委員を委嘱され、月一回、話し方教室・落語教室の指導を行う。著書に、『古今亭菊千代噺家です』日本出版社1995、『体験!子ども寄席』(全5巻)偕成社2014。