施設

渋沢栄一記念館(埼玉県深谷市)

 埼玉の三偉人に数えられる「日本資本主義の父」こと渋沢栄一。今年(2019年)4月に新一万円札の肖像画に選ばれることが公表され、さらに9月には2021年大河ドラマの主人公に決まるなど、今あらためて注目を集めています。
 出身地の深谷市にある「渋沢栄一記念館」はNWECから北へ約20キロ。同館学芸員の馬場氏に記念館を案内していただきました。

堂々たる建物。公民館も併設されています

深谷市のゆるキャラ「ふっかちゃん」と

GWの来館者数は、去年の23倍

 4月の新札肖像画決定を受け、5月のGWには昨年の実に23倍、8月のお盆期間にも10倍もの方が来館されたそう。取材時も平日にもかかわらず、観光バスでやって来る観光客や社会科見学の小学生らで大賑わいでした。取材の前日に大河ドラマの決定があったとのことで、「ありがたいことに、来年はさらに増えるかもしれません」(馬場氏)とのこと。

渋沢栄一と深谷

 右写真の巨大な渋沢像(なんと高さ約5メートル)が見る先にあるのは赤城山に榛名山と、群馬県の山々。記念館や渋沢の生家があるここ深谷の血洗島一帯は群馬との県境に位置し、利根川が当時交通の要衝として遠方との往来を盛んにさせたことが、渋沢の学問をはぐくむ土壌になったといいます。
 川もまた、渋沢を伝える資料なのです。

女子教育にも尽力

 銀行や企業の設立など、実業界での活躍が良く知られている渋沢ですが、道徳心に基づき公共の利益を追求する「道徳経済合一説」を唱え、教育にも力を注ぎました。
 商人への学問の必要性を考え、商人に対する高等教育機関として商法講習所(現一橋大学)や大倉商業学校(現東京経済大学)など、多くの学校設立に協力したほか、女子教育奨励会をはじめ、現日本女子大学や東京女学館の設立にも携わるなど、女性への教育の必要性も早くから認識し、支援をしていたといいます。馬場氏によれば「当時の時代背景から、教育方針は良妻賢母育成といったものでしたが、高等教育を通して女性が社会で活躍する足掛かりにしたいとの考えがあったと思います」。
 当時撮影された女子教育奨励会や日本女子大学の写真など、渋沢と教育の関係を伝える資料が多く展示されています。

渋沢自身が知らない、伊藤博文との関係

 伊藤博文とは共に女子教育奨励会を設立するなど、長きにわたり交流のある間柄でしたが、両者の没後、彼らはある理由でライバルとなりました。資料室にその理由を伝える新聞記事が展示されています。
 「1963年、千円札肖像画の最終候補として残ったのが渋沢と伊藤でした。結果は皆さんご存知のとおり伊藤博文に決まったわけですが、決め手となったのが髭の有無だったと記事にあります。当時は国立印刷局の工芸官によるデザインや彫刻で偽造防止をしていたため、凹凸の少ない顔よりは特徴のある方が好まれたといいます。髭のない渋沢や女性たちの肖像の採用は、ホログラムなど多様な技術の発達がもたらしたといえます」(馬場氏)
 ちなみに深谷市では青淵会という団体が町おこしの一環として「開運10万円札」なるお守りを販売しています。記念館の近くにある「道の駅おかべ」で購入できるそうです。

記念館からひとこと

 埼玉の三偉人である渋沢栄一。500社余の企業の設立に尽力し、600以上の社会公共福祉事業や教育・国際親善に貢献しました。
 渋沢栄一の生誕地である深谷市でゆかりの施設などをご覧いただくことで、渋沢さんをより身近に感じてもらえればと思います。

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(NWEC職員の感想)
 近隣の文化施設といいながら、実は決してNWECから近くはありません。車で40分程度はかかります。
 けれど、1時間かけて訪問しても惜しくない、見応えたっぷりの施設でした。(10名以上の団体は予約すると解説を受けることもできるのです!)
 時間が許せば渋沢栄一記念館だけではなく、旧渋沢邸「中の家」や渋沢が公私ともに師と仰いだ尾高惇忠の生家など、渋沢ゆかりの場所を訪ね歩くのもよさそうです。
 最近では、宿泊を伴う観光旅行の訪問先としてここ渋沢栄一記念館を選ぶ人も増えているとのこと。お泊りの際はぜひ、NWECをご利用ください!