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コラム
「思えば遠く~モモタロー・ノー・リターン誕生秘話~」(2020.3.1)
奥山 和弘
昔話「桃太郎」を借りて男女共同参画やジェンダーについての説明を試みた「桃子」の物語(モモタロー・ノー・リターン)が誕生して、今年で25年になる。
平成7年、県教育委員会で男女共同参画の講座を担当していたときのこと。グループワークの場で一人の男性がこう発言した。「桃太郎を見よ。お爺さんが柴刈りに行き、お婆さんが洗濯をし、何の問題もなかった。あれこそ理想の世界だ。男女共同参画を説く必要がどこにある?」
この発言自体はスルーされたが、担当者としては性別役割分業をよしとするその内容が、その後も気にかかっていた。
そんなある日、ふと、ひらめいた。では、お婆さんが「実は私も山へ行きたいのです」と言い出したら、どうなるのか。桃から生まれたのが女の子だったら。子育てはどちらが。「鬼らしさ」になじめない鬼もいるだろう。……連想は広がった。その年に県教委に入ったばかりの私の頭の中には、男女共同参画に関する新しい知識が聞きかじり読みかじりのまま渦巻いていた。それらを、具体的なストーリーにはめ込んで、自分なりに整理してみたいという思いもあった。
こうして、「モモタロー・ノー・リターン」は生まれた。
お爺さんには、かの発言者を重ねていた。だからここには「気づき」のための仕掛けが随所に施されている。なぜ桃子の子育てに及び腰なのかとお婆さんに問われて戸惑うお爺さんが、やがて率先してきびだんごを作るようになるという流れは、その気づきによる変容を意味している。
このささやかな物語は、各地で演劇や人形劇、紙芝居などに翻案され、広まっていった。ところが、趣旨を曲解して、とんでもない批判を展開する人たちが現れた。新聞の社説やコラム、テレビ番組でのコメント、国会での質疑等において、示し合わせたように「性差の否定」「文化の破壊」などという大仰な理屈を振りかざした。
どうしてあんなに過剰な反応を見せたのだろう。彼らもまた「桃太郎」的な秩序を理想視するお爺さんだったということだろうか。
こちらのお爺さんたちに変容が訪れるには、まだ時間がかかりそうだ。四半世紀を経ても桃子が現役でいなければならないとしたら、それは寂しいことに違いない。
NWECボランティアによる「モモタロー・ノー・リターン」上演の様子
ボランティアによるオリジナルの演出も加えながら、定期的に上演している
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